「ケアの思想」と「共に在る他者」〜4月22日(土)に講座を開きます〜2023年04月02日 12時22分25秒

例年であれば桜の花便りが聞かれるこの頃ですが、今年は一足早く桜が満開になり、梅と桜の共演、桜と桃の共演があちらこちらで見られました。そのため、観光客が予定していた日程と合わないのか、海外からの訪日観光客もまだ少なく(国による偏りがあるようで)、京都は混雑しているといっても、平日は落ちついて風情を愉しむことができるところも多くありました。(もちろん、観光客が集中するエリアは平日でも復活して、とても風情を愉しむ余裕はない大混雑ぶりですが)
昔は長く愛でることができ香りもよい梅の花が好まれ、御所では「左近の梅、右近の橘」だったのが、鎌倉時代の武家社会になると、一斉に咲き、一斉に散っていく桜の花が武士に相応しいとなり、御所も「左近の桜、右近の橘」へと替わっていきました。私は桜よりも梅の花が好きですが、桜であれば枝垂れ桜が気に入っています。

COVID-19の感染拡大により20年前までと同じような春を迎えられたのは2シーズンだけでしたが、どのようなときでも人々の日常生活に密着していた業種と通り過ぎる人々を対象にしていた(依存していた)業種のちがいがはっきりと見えた期間でした。
また、生活に密着している業種であっても、人々をどのように見ているかによって、あり方が変化したり、新たな形態が生まれました。今後、それらがどのように続くのかを見ていくことも留意しておきたいと思います。

人はいつまでも健康で病気にならないようにと願ったりしますが、実際にはあり得ない願いであり、叶わないものといえるでしょう。人は病気になったときも現実を否定しようとしますが、否定できるものではありません。その現実の中に価値としての「在り方」を見つけなければなりません。
そのためには、病気や苦しみ、悲しみ、悩みを「問題」としてみないことが要点になると思います。つまり、それらを「問題」としてしまい振り回されないこと、「苦」などの本質を見るようにすることで「在り方」に目を向けることになります。
歳をとることは、ケアが必要となることは、「強い」身体などを手放して「弱さ」を選んできていることであり、それをどのように(素直に)認めるかということです。弱さを認めたくない、強い人でありたいと願うのは、強い人でなければならないことを求められ(強制され)てきたことの顕れでもあります。
この情況の中でこの生き方をするということを落ちついて認め、受けとめていくことが「在り方」でもあります。自立とは強さを求めめざすことではありませんし、自立支援は強さを後押しするものではありません。人としての一生を最後までまとめあげていけるようにすることを随伴して支えることが自立支援です。介護支援専門員などケアに関わる人は、職務としてクライアントへのかかわりを求められますが、クライアントは職務を超えたところの随伴者として介護支援専門員などを求めようとします。このことを否定してはケアはすすめられませんし、囚われてもケアは揺らいでしまいます。
ケアを介在した関係性をどのように保つかということは、「ケアの思想」を「介護関係」の中だけでとらえようとするのではなく、通常の日常生活、社会生活のさまざまな場面での「共に在る他者」との関係性の中でとらえなければなりません。そのうえで、直接介護を必要とする人に対してのサポートを見るようにすることが必要です。

5月から今年度の主任介護支援専門員更新研修などが始まります。スタッフ、ファシリテーターとして関わる人は、参加者が「介護支援専門員としての職務は何か」というだけでなく、「ケアの思想」をどのように理解し自己のものにしていけるかについて留意することが重要と思います。
研修に関わらない人においても、「ケアの思想」と「他者へのまなざし」と自己の「在り方」について実務や生活の場面で考えてほしいと思います。
そこで、その機会になってほしいと思い、講座を開催します。

日時:4月22日(土)13:30〜16:30
会場:名古屋国際センター 第2研修室
 ※会議名表示は「福祉と介護のマネジメント研究会 例会」になっています。
内容:「ケアの思想を実務や生活に反映する要点」 研修での教育指導などで押さえておきたい要点と考え方、展開するうえで留意することについての講義を行います。また、その前提となる「ケアの思想」をどのように理解するか、行動と結びつく視点などについて考えていただきます。

「心の叫び」や「メッセージ」をどのように受けとめるか2023年01月11日 22時45分24秒

もう少しすると、28年目の「1.17」になります。2年前の1月18日のブログで「私の一冊『心の傷を癒やすということ』」を書きましたが、昨年は安先生の師である中井久夫先生も亡くなられました。クライアントの「叫び」や「メッセージ」をどのように受けとめているかは、日頃からの他者との関わりの中でどのように暮らしているかにもつながっていると思います。

研究会や研修会でしばしば話していることですが、「きく(聴く・聞く)」ということについて深く考えることが対人援助職においては特に必要だと思っています。インタビューについてお話ししたこともありますが、聴くことは視ることであり、ことばそのものの意味もさることながら、ことばを読みとることと、ことばの背景に横たわっているその人の文化と現状認識から、クライアントが語っている中身を吟味することが大切です。
研修などの場でよく、「本人の本音を聞く」ということばを聞きますが、自分が「聞きたいこと」を聞きたいのであって、クライアントの「心の叫び」や「メッセージ」を聞こうとしているのではない発言にしばしば出会います。また、クライアントが「暗に伝えたい」ことや、自身のことばでは言い表せないことについて苦心しているであろうと思われることについて見ていないのではないかと疑われることが多々あります。
クライアントに長く関わってきていると、自分はクライアントのことをよく知っているとの錯覚に陥り、ますますクライアントの声を見なくなってしまうおそれがあります。「日々新たな目で見る」ことはよくいわれるのですが、それは、連綿と続いているその人の歴史・文化・行動を同じ視点で見るのではなく(自分の今までの思い込みで見るのではなく)、異なる視点や新たな視点で常に接することです。それにより、「同じ話し」であっても、新たな発見が生まれるのです。

また、人はそのときそのときに思いつきで喋ることもありますが、その「思いつき」と思える話しも、それまでに伏線としていくつものメッセージが隠されています。直接つながるものもあれば、そうでないものもあるので、後から見て「あれがそうだったのか」と思うこともありますし、「結局、何のつながりもなかった」と思うこともあるかもしれませんが、それぞれのことは縦糸と横糸のようにつながっているものです。
この数年、「朝ドラ」の「伏線回収」ということばがSNSなどで賑やかですが、「伏線」となるシーンを何気なく見過ごしていると「突然」のように思われることになります。それでもそのシーンを深読み過ぎると「伏線」でもなんでもないことに振り回されたり、自分の都合による解釈に終わりかねません。ドラマでは面白かった、つまらなかったでいいかもしれませんが、対人援助の臨床ではクライアントと自分の人生に直接影響してきます。
発することばや行動を一つ取りあげて、「何かあるのでは」と見るだけでは見つけることはなかなか難しいでしょうが、いくつかのことを組み合わせて相関性を吟味したりすると見えてきます。その場合でも、主体者は誰かを忘れてはなりません。「私」を主体者に置いていると「相手」は客体者になってしまいますから、自分に都合のよいように見てしまいがちになります。「相手」のメッセージを受けとるには「相手」が主体者であることをしっかりと認識しなければなりません。
昨年7月の研究会で「現代文解釈の基礎」の書籍について少しふれましたが、文章(作品)を読むということは書かれている文字を追っていくことではなく、作者(著者)と読み手である「私」の相互作業です。読み手がどのように読んでも構わないというものではなく、このように読んでほしいとの作者のメッセージを受けとっていくことが解釈になります。読み手が「自分の好きなように読めばよい」というのでは、作者が伝えたいことが歪められたりしますし、作者の心の内を読みとることはできません。

「私はこんなにあなたのことを想っています。心配しています。考えています。」といっても、それは自分が主体者であることから一歩も踏み出してはいないのです。また、「私はこんなに思っています。だから、あなたも私の思いを汲んでください。」という思いも、自分が主体者であることから踏み出してはいません。相手も主体者であることの相互の関係を見失ってはいけません。自己の「存在」とは他者の「存在」との相互関係がなければあり得ません。
「私」の側からの見方ではなく、「私」のことばを「相手」はどのように受けとめるかと考えることも相互性から見ることの一つです。「私が想っているから、あなたも想ってほしい」では、「私」が想わなくなったら「相手」も想わなくなってもよいということです。主体と客体の関係からメッセージをどのように読むかを考えることが大切です。

「相手」のメッセージの中にある「悲しみ(哀しみ)」を読み取れることは「相手」の「喜び」を知ることでもあります。「悲しみ(哀しみ)」の淵にあって、その「悲しみ(哀しみ)」を「誰に伝えるか」と本人が辺りを見回したときに、本人の「存在」を指し示す人であってほしいと願っています。

「100分de名著」12月放送について2022年11月29日 16時19分24秒

NHKのEテレで、12月は「中井久夫スペシャル」が放送されます。(放送:月曜日午後10:25〜10:50、再放送:火曜日午前5:30〜5:55・翌週月曜日午後1:05〜1:30)
今年の8月に大きな足跡を残して中井久夫先生が亡くなりました。彼のメッセージや研究などについては、私も研修講義や研究会の中などでしばしばとりあげていました。私が大きな影響を受けた人々の中でも敬慕するお一人でした。
「100分de名著」は伊集院光さんと安部みちこアナウンサーの司会がゲストと対話しながら「名著」を紐解きながら真理を探究していく番組ですが、「中井久夫スペシャル」は精神科医で筑波大学教授で著書も多い斎藤環先生がゲストとして登場します。
「義と歓待と箴言知のひと」の3冊の著書と2つのエッセイをとりあげて、中井先生のメッセージに迫ろうとするものです。

第1回12月5日放送 「『心の産毛』を守り育てる—「最終講義」」
第2回12月12日放送 「『病』は能力である—「分裂病と人類」」
第3回12月19日放送 「多層的な文化が『病』を包む—「治療文化論」」
第4回12月26日放送 「精神科医が読み解く『昭和』と『戦争』—「『昭和』を送る」「戦争と平和 ある観察」」
NHKテキスト12月(定価600円)は既に出版されています。

「心のケア」ということばが氾濫している現在、そもそも「心のケア」とは本当はどういうことをいっているのかなども含めて、中井先生のメッセージを受けとってほしいと思います。精神科医療に関わる援助職だけでなく、多くの人に「中井久夫の箴言」を知って欲しいと思っています。

12月で例会はひと区切りとします2022年11月13日 20時45分07秒

 11月になって秋の直中のようになりましたが、今年は10月にも夏日の日があったりと、秋の色づきの前に木々の葉が暑さで日焼けしたのではないかと思えるような変化も見られました。紅葉の見頃は同じ地域でも差があるのは当然ですが、今年の立冬(11月7日)を境に日中と朝夕の温度差が大きくなり、紅葉・黄葉散策のときの衣服をどう選べばよいか迷ってしまいます。今年の京都は紅葉見物を兼ねた観光客が溢れる日が多くなったようで、静かな散策は望めないようですが、それでも山を背にした神社仏閣や庭園を含めた景色はいつ見ても飽きがこないのは、その景色が情緒と組み合わさって、自分のそのときの気持ちを映し出すからではないでしょうか。

 11月が近づくと山小屋が閉まり始め、雪で小屋が埋まってもよいように冬支度を行い、多くの山小屋では11月初旬〜中旬頃には翌年の小屋開きまで静かに長い眠りに入ります。時機を失すると翌年の準備ができないまま閉めなければならず、山小屋の主は観天望気の見極めを慎重に行います。私が若い頃の山行で11月の初めに吹雪に遭ったとき、運良く山小屋の主が下山する直前に辿りついて、たった一人の「宿泊客」として迎え入れていただいたことを時折懐かしく思い出します。また、よく訪れていた山の地元猟友会の方が、猪鍋をするからと誘ってくれたりしたこともありました。11月から12月にかけての時季は今でも山への誘惑に心を動かされます。
 あれからずいぶんの歳月が流れ、何時の間にか、一年が短く感じられるようになるだけでなく、身体のあちらこちらもかつて思っていたような「強さ」ではない「弱さ」を基礎にした動きへと移ってきました。

 ところで、この研究会も発足からおよそ20年となりました。当初の頃とはメンバー対象者も内容も変えてきましたが、対人援助に関わる人に大切していただきたいことを、それは職業としてのということもありますが、ものごとの「そもそも」(principle)や考え方、展開方法、関連領域や隣接領域についても知識や技術だけではなく実体的に学んでほしいと思ってきました。臨床をとおして生きることの真理と生きることを支える意味について考えてほしいと思ってきました。
 時代とともに、というよりも、人とともに時代が移ろいで行く中で、「そもそも」を基底にしている自分自身を動かす力をどこに焦点化していけばよいか考えてきましたが、しばらくの間、ゆっくりと整理したいと思うようになりました。以前は「拡がっていく」思惟を大切にしてきましたが、今では「収束していく」思惟へと切り替えることが増えてきました。ある意味では、ようやく「そこ」に辿りついたともいえるかも知れません。

 そこで、考えを整理したり、在り方を考えるために今までの例会は一区切りとし、12月で幕を下ろします。秋になって木々が紅葉・黄葉になり葉を落としていくのは自らの命を最小限の力で維持するためですが、私自身も人生のまとめをするために必要最小限の力に落として「仕舞う」準備に入ろうかと考えたからです。
 ただ、法定研修会などにあたってファシリテーターなど研修スタッフを務められる方々をはじめとしたスタッフ養成教育の対象となる方々に対しては、教育指導内容の研修やトレーニングを兼ねて集まりをもつことは適宜行う予定にしていますので、必要に応じてブログ(メインタイトル「福祉と介護のマネジメント研究会」も改称するかもしれませんが、URLは変更しない予定です。)で開催案内などをお知らせします。ブログは不定期であっても、みなさんにお勧めしたい書籍・文献などの紹介をはじめ、メッセージやみなさんの学習サポートなどになるようにと考えています。
今後、みなさんがそれぞれのステージで丁寧に活動されることを祈念します。

 なお、自分自身がずっと続けてきている探究をさらに深めるために、何人かの人とはお目にかかってお話ししながら思索を整理する場(読書会のようなもの)をつくるつもりですが、教育指導の場ではなく、私的な思惟の場になりますのでご理解ください。

 さて、12月研究会は12月10日(土)13:30〜16:30に会場(名古屋国際センター 第2研修室:3階)を予定しています。
会場に来られない方にはオンライン(会場などの都合などで万全にはできませんが)参加をサポートします。 当日、オンラインで参加(出席)を希望する方は、12月8日(木)18時までに「オンライン参加希望」の旨、連絡してください。(事前登録者に自動的にミーティングID等を連絡することはしません。)希望者には必要に応じて確認の上、ミーティングIDなどを12月9日(金)にお知らせします。オンライン登録されていない方で希望される場合には、個人メールアドレスを添えてその旨し込んで下さい。
 また、会場使用にあたっての注意事項(以前に記載しています)も遵守していただきます。

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