「解釈する」ということ ― 2022年09月30日 22時18分55秒
ものごとを理解するということは、解釈するということでもあります。「理解」とは大辞泉によると「①物事の道理や筋道が正しくわかること。意味・内容をのみこむこと。②他人の気持ちや立場を察すること。」とあります。そして、「解釈」とは「①言葉や文章の意味・内容を解きほぐして明らかにすること。また、その説明。②物事や人の言動などについて、自分なりに考え理解すること。」とあります。どちらの単語にも共通することは「解」です。
意味をどのように解するか、相手の意・事情に沿った解なのか、自分の考えから紐解いた解なのかという違いがありますが、判断に作用するものです。
統計などデータを積み重ねて解釈することは量的理解をすすめるうえで必要ですが、質的理解をすすめるうえで必要な力が文章読解です。
もちろん、相手が言語的表現をどのように駆使しているかにも影響されますが、それでもなお、言語的理解、文章読解の力が高ければ対話による相互理解を高めていくことが可能です。言語的理解は具象を抽象化し、抽象化された言語から具象化する力でもあります。現象を知っていれば具象化することが容易になりますが、そもそも何を抽象化したかということを推理し、言語という抽象から本質を探究しなければなりません。「相手を知る・理解する」ということは、相手が具象をどのように抽象化し、抽象をどのように具象化するかということを知るということでもあります。相手のものの見方・考え方は、相手が具象と抽象の間をどのように往復しているかでもあり、どのように言語を用いているかによって、見方・考え方の一端が見えてきます。
人間が発達してきたのは言語理解によるものです。具象を如何に適確に抽象化して伝え、抽象化されたものから具象に復元することにより思考が深まり、推理し、応用する力が発達してきました。「群れ」が「社会」へと発展構成されたのも言語によります。概念を共有した集団がコミュニティの始まりです。
ことばのやり取りにおいて、「あれ」「これ」という指示代名詞や、「あの人」「この人」という人名代名詞を使ってお互いに言っていることの意味が分かり合える(コミュニケーションの成立)には、共通の認識が深く、あるいは、長い間の習慣化された行為がともなっていなければ困難です。
そのため、ことばの意味や用法を知っているだけでなく、文章読解などを含む言語理解は極めて重要になります。
また、ものごとに着眼し思索するうえでも、本質に近づく切り口を言語によって整理することは大切です。
私の手許に、「着眼と考え方 現代文解釈の基礎(新訂版)」遠藤嘉基・渡辺実(ちくま学芸文庫)(以下、「基礎」と略)があります。1963年刊行「現代文解釈の基礎」(もともとは1960年の「現代文解釈の方法」)が1991年に新訂版となり、絶版となっていたのですが、2021年に文庫版として出版されたものです。「基礎」のレイアウトがよく、中学・高校の時に参考書としてというよりも読書の「手引書」として使っていました。「例題」と「考え方」、「着眼点」、「演習」が一目で把握でき、昨年文庫版として復刊されたので、頭の体操をかねてすぐに購入しました。巻末解説にインターネットで有名になった読書猿氏が寄稿していて、「学習参考書」らしくないと思えるところもありますが、氏の文章はこの「基礎」を的確に掴んだ内容で感心するとともに、あの名著をよくぞ文庫版にできたものだ驚嘆しました。
「基礎」は「解釈の基本」を示してあるだけでなく、「考え方」として解説したり、練習問題をとおして(学校の試験問題のような書き方になっていますが)深く考える手助けになります。繰り返し繰り返し読むことで、繰り返し繰り返し考えることで、本質に迫る(近づく)方法・道順が身についていく、時代を超えて人が身につける素養になっていく一助になります。「基礎」は一気に読破する書籍ではありません。むしろ、1年間、あるいは3年間かけてじっくり読んでいくこと、引用している原著を読みながら読むなど、それぞれの趣に応じて味わえます。
近年はマニュアル本のように簡便や安直で単純な一択回答を求める人が多いですが、人と人の関係はもちろんのこと、人生は一択回答で歩むものではありません。
秋の夜長に読書というのは古来よりいわれていることですが、読書のためのお供を傍らに置いておくのはいかがでしょうか。
意味をどのように解するか、相手の意・事情に沿った解なのか、自分の考えから紐解いた解なのかという違いがありますが、判断に作用するものです。
統計などデータを積み重ねて解釈することは量的理解をすすめるうえで必要ですが、質的理解をすすめるうえで必要な力が文章読解です。
もちろん、相手が言語的表現をどのように駆使しているかにも影響されますが、それでもなお、言語的理解、文章読解の力が高ければ対話による相互理解を高めていくことが可能です。言語的理解は具象を抽象化し、抽象化された言語から具象化する力でもあります。現象を知っていれば具象化することが容易になりますが、そもそも何を抽象化したかということを推理し、言語という抽象から本質を探究しなければなりません。「相手を知る・理解する」ということは、相手が具象をどのように抽象化し、抽象をどのように具象化するかということを知るということでもあります。相手のものの見方・考え方は、相手が具象と抽象の間をどのように往復しているかでもあり、どのように言語を用いているかによって、見方・考え方の一端が見えてきます。
人間が発達してきたのは言語理解によるものです。具象を如何に適確に抽象化して伝え、抽象化されたものから具象に復元することにより思考が深まり、推理し、応用する力が発達してきました。「群れ」が「社会」へと発展構成されたのも言語によります。概念を共有した集団がコミュニティの始まりです。
ことばのやり取りにおいて、「あれ」「これ」という指示代名詞や、「あの人」「この人」という人名代名詞を使ってお互いに言っていることの意味が分かり合える(コミュニケーションの成立)には、共通の認識が深く、あるいは、長い間の習慣化された行為がともなっていなければ困難です。
そのため、ことばの意味や用法を知っているだけでなく、文章読解などを含む言語理解は極めて重要になります。
また、ものごとに着眼し思索するうえでも、本質に近づく切り口を言語によって整理することは大切です。
私の手許に、「着眼と考え方 現代文解釈の基礎(新訂版)」遠藤嘉基・渡辺実(ちくま学芸文庫)(以下、「基礎」と略)があります。1963年刊行「現代文解釈の基礎」(もともとは1960年の「現代文解釈の方法」)が1991年に新訂版となり、絶版となっていたのですが、2021年に文庫版として出版されたものです。「基礎」のレイアウトがよく、中学・高校の時に参考書としてというよりも読書の「手引書」として使っていました。「例題」と「考え方」、「着眼点」、「演習」が一目で把握でき、昨年文庫版として復刊されたので、頭の体操をかねてすぐに購入しました。巻末解説にインターネットで有名になった読書猿氏が寄稿していて、「学習参考書」らしくないと思えるところもありますが、氏の文章はこの「基礎」を的確に掴んだ内容で感心するとともに、あの名著をよくぞ文庫版にできたものだ驚嘆しました。
「基礎」は「解釈の基本」を示してあるだけでなく、「考え方」として解説したり、練習問題をとおして(学校の試験問題のような書き方になっていますが)深く考える手助けになります。繰り返し繰り返し読むことで、繰り返し繰り返し考えることで、本質に迫る(近づく)方法・道順が身についていく、時代を超えて人が身につける素養になっていく一助になります。「基礎」は一気に読破する書籍ではありません。むしろ、1年間、あるいは3年間かけてじっくり読んでいくこと、引用している原著を読みながら読むなど、それぞれの趣に応じて味わえます。
近年はマニュアル本のように簡便や安直で単純な一択回答を求める人が多いですが、人と人の関係はもちろんのこと、人生は一択回答で歩むものではありません。
秋の夜長に読書というのは古来よりいわれていることですが、読書のためのお供を傍らに置いておくのはいかがでしょうか。
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