「悲しみ」について考える〜今月の一冊から〜 ― 2022年02月28日 09時49分53秒
早いもので、もう3月になります。
2011年3月11日に東北地方太平洋沖(三陸沖)地震によって引き起こされた東日本大震災から11年に経ちました。その6年前の1995年1月17日は兵庫県南部地震により引き起こされた阪神・淡路大震災がありました。その間にも、それ以前にも、その後にも地震などによる大きな災害はおこり続けています。
東日本大震災ではNHKが震災支援プロジェクトとして企画制作した「花は咲く」(作詞:岩井俊二、作曲・編曲:菅野よう子)が歌い継がれています。歌詞について作詞した岩井俊二さんは震災で亡くなった人の目線で作ったと語っています。死者を悼む歌や詩、文が多い中で死者からのメッセージとして響く歌詞は、深い味わいをもっていました。阪神・淡路大震災では、当時神戸市立小学校の音楽教諭であった臼井真作詞・作曲の「しあわせはこべるように」が生まれ、その後、東日本大震災後にも歌詞の中の「神戸」がその地域の地名に置き換えられて歌われました。
悲しみが慈しみとなっていく、あるいは表裏一体となっていくうえで、文字として表れることばには、心の奥深くに染み込んでいく力があります。涙を流すというよりも涙が湧き上がってくるという方がよいかも知れませんが、どんなに悲しくても、どんなに辛くても生きていくことを嘆くのではなく、生きることを確かめるうえで涙は必要なのかも知れません。
私の手許に「君の悲しみが美しいから僕は手紙を書いた」という一冊があります。批評家・随筆家(ときには思想家と紹介されますが)の若松英輔さんが書かれた手紙形式の随筆です。(河出書房新社 2014)本の帯には「悲しみを知る全ての人に 傷ついたひと、悲しみのふちにあるひとこそ光を放っている—」とあります。
東日本大震災から3年経とうとする時に出版され(あとがきは、2014年2月11日になっています)、11通の手紙の形をとって、釈迦や石牟礼道子さん、池田晶子さん、原民喜さん、柳宋悦さん、宮崎かづゑさんなど若松さんが他の自著などでとりあげている人たちのほか、多くの人の人生や文、ことばや作品をとりあげながら「批評」し、その人たちのことばの中にあるメッセージを伝えています。身近な人の死や悲しみの中にあるメッセージを自分はどのように受けとめているか、受けとめていきたいかという文章は、一つの思想といってもよいかも知れません。
若松さんの本には「悲しみ」「涙」「死」ということばよくでてきます。2014年1月20日に出版された「涙のしずくに洗われて咲いづるもの」(河出書房新社)は冒頭の文に「生きている死者」について、「死者の姿は見えない。だが、見えないことと存在しないことは違う。見えなくても、その姿にふれることができなくても、存在するものはたしかにある。」と述べています。そして「悲しみの意味を信じなくなった現代は、悲しむ人を励まそうとする。悲しむな、元気を出せ、がんばれ、と鼓舞する。」「死別を悲しむ人を激励する必要などない。彼らは励まされる前にすでに懸命にもがき、生きようとしている。彼らに必要なのは声高な励ましではなく、静謐なまなざしである。」とことばを続けています。
対人援助に関わる者にとって大切なことは「悲しみ」を知っていることだと思います。そのようにいうと、自分は幸せだと思っているから悲しみは知らないという人もいるかも知れませんが、悲しみとは嘆きではありません。辛さでもありません。悲しみはどれだけ人(ときには人以外の場合もありますが)を大切に思っているかということです。亡くなった人への思いも、その人のこと大切に思っていたから、また、その後も思っているから悲しみを知るのです。
聖書で「憐れみ、憐れ」という日本語のことばがしばしば出てくるのですが、現代人が思っている意味とはちょっと違います。もともとは、「心がかきむしられるようにその人のことを思う」という意味のある原語でした。
悲しみは、人を大切に思っているからこそ生まれるもので、時には鬱陶しく思えるようなことがあったとしても、その人が生きていくために私は何をするのかということが対人援助の基礎だと思います。
今後、次の日程で開催予定していますが、情況により中止(休会)、またはオンライン(Zoo mmeeting)することがありますので、直前の連絡も含めて、確認してください。
また、会場使用にあたっての注意事項(以前に記載しています)も遵守していただきます。
不明なことがあれば、LINEかE-mailか、このブログのコメント欄(原則、コメントについては一般公開しません)から連絡してください。
<2022年3月研究会>
日時: 3月19日(土)13:30〜16:30
会場: 名古屋国際センター 第2研修室(3階)
<2022年4月研究会>
日時: 4月23日(土)13:30〜16:30
会場: 名古屋国際センター 第2研修室(3階)
<2022年5月研究会>
日時: 5月21日(土)13:30〜16:30
会場: 名古屋国際センター 第2研修室(3階)
<2022年6月研究会>
日時: 6月25日(土)13:30〜16:30
会場: 名古屋国際センター 第3研修室(4階)
<2022年7月研究会>
日時: 7月23日(土)13:30〜16:30
会場: 名古屋国際センター 第2研修室(3階)
<2022年9月研究会>
日時: 9月3日(土)13:30〜16:30
会場: 名古屋国際センター 第2研修室(3階)
2011年3月11日に東北地方太平洋沖(三陸沖)地震によって引き起こされた東日本大震災から11年に経ちました。その6年前の1995年1月17日は兵庫県南部地震により引き起こされた阪神・淡路大震災がありました。その間にも、それ以前にも、その後にも地震などによる大きな災害はおこり続けています。
東日本大震災ではNHKが震災支援プロジェクトとして企画制作した「花は咲く」(作詞:岩井俊二、作曲・編曲:菅野よう子)が歌い継がれています。歌詞について作詞した岩井俊二さんは震災で亡くなった人の目線で作ったと語っています。死者を悼む歌や詩、文が多い中で死者からのメッセージとして響く歌詞は、深い味わいをもっていました。阪神・淡路大震災では、当時神戸市立小学校の音楽教諭であった臼井真作詞・作曲の「しあわせはこべるように」が生まれ、その後、東日本大震災後にも歌詞の中の「神戸」がその地域の地名に置き換えられて歌われました。
悲しみが慈しみとなっていく、あるいは表裏一体となっていくうえで、文字として表れることばには、心の奥深くに染み込んでいく力があります。涙を流すというよりも涙が湧き上がってくるという方がよいかも知れませんが、どんなに悲しくても、どんなに辛くても生きていくことを嘆くのではなく、生きることを確かめるうえで涙は必要なのかも知れません。
私の手許に「君の悲しみが美しいから僕は手紙を書いた」という一冊があります。批評家・随筆家(ときには思想家と紹介されますが)の若松英輔さんが書かれた手紙形式の随筆です。(河出書房新社 2014)本の帯には「悲しみを知る全ての人に 傷ついたひと、悲しみのふちにあるひとこそ光を放っている—」とあります。
東日本大震災から3年経とうとする時に出版され(あとがきは、2014年2月11日になっています)、11通の手紙の形をとって、釈迦や石牟礼道子さん、池田晶子さん、原民喜さん、柳宋悦さん、宮崎かづゑさんなど若松さんが他の自著などでとりあげている人たちのほか、多くの人の人生や文、ことばや作品をとりあげながら「批評」し、その人たちのことばの中にあるメッセージを伝えています。身近な人の死や悲しみの中にあるメッセージを自分はどのように受けとめているか、受けとめていきたいかという文章は、一つの思想といってもよいかも知れません。
若松さんの本には「悲しみ」「涙」「死」ということばよくでてきます。2014年1月20日に出版された「涙のしずくに洗われて咲いづるもの」(河出書房新社)は冒頭の文に「生きている死者」について、「死者の姿は見えない。だが、見えないことと存在しないことは違う。見えなくても、その姿にふれることができなくても、存在するものはたしかにある。」と述べています。そして「悲しみの意味を信じなくなった現代は、悲しむ人を励まそうとする。悲しむな、元気を出せ、がんばれ、と鼓舞する。」「死別を悲しむ人を激励する必要などない。彼らは励まされる前にすでに懸命にもがき、生きようとしている。彼らに必要なのは声高な励ましではなく、静謐なまなざしである。」とことばを続けています。
対人援助に関わる者にとって大切なことは「悲しみ」を知っていることだと思います。そのようにいうと、自分は幸せだと思っているから悲しみは知らないという人もいるかも知れませんが、悲しみとは嘆きではありません。辛さでもありません。悲しみはどれだけ人(ときには人以外の場合もありますが)を大切に思っているかということです。亡くなった人への思いも、その人のこと大切に思っていたから、また、その後も思っているから悲しみを知るのです。
聖書で「憐れみ、憐れ」という日本語のことばがしばしば出てくるのですが、現代人が思っている意味とはちょっと違います。もともとは、「心がかきむしられるようにその人のことを思う」という意味のある原語でした。
悲しみは、人を大切に思っているからこそ生まれるもので、時には鬱陶しく思えるようなことがあったとしても、その人が生きていくために私は何をするのかということが対人援助の基礎だと思います。
今後、次の日程で開催予定していますが、情況により中止(休会)、またはオンライン(Zoo mmeeting)することがありますので、直前の連絡も含めて、確認してください。
また、会場使用にあたっての注意事項(以前に記載しています)も遵守していただきます。
不明なことがあれば、LINEかE-mailか、このブログのコメント欄(原則、コメントについては一般公開しません)から連絡してください。
<2022年3月研究会>
日時: 3月19日(土)13:30〜16:30
会場: 名古屋国際センター 第2研修室(3階)
<2022年4月研究会>
日時: 4月23日(土)13:30〜16:30
会場: 名古屋国際センター 第2研修室(3階)
<2022年5月研究会>
日時: 5月21日(土)13:30〜16:30
会場: 名古屋国際センター 第2研修室(3階)
<2022年6月研究会>
日時: 6月25日(土)13:30〜16:30
会場: 名古屋国際センター 第3研修室(4階)
<2022年7月研究会>
日時: 7月23日(土)13:30〜16:30
会場: 名古屋国際センター 第2研修室(3階)
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日時: 9月3日(土)13:30〜16:30
会場: 名古屋国際センター 第2研修室(3階)
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